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青春の日々

大学入って初めてまともに触るコンピュータ.「lsってなんだ?dirじゃないの?」.
勉強なんかほとんどせず,マンガとゲームと週6回の合気道の稽古に励んだ.青春だ.


4年になって友達と学内に散らばるネットワークの整備をみんなでひたすらやった.
時給換算したら250円くらいだったけど,学内のいろんな人と知り合いになり,先生たちからメシをおごってもらったりして楽しい日々だった.青春だ.


外資半導体メーカに就職.入って1年目にしてリストラでいきなり社員の1/3がクビに.
残務処理要員として田舎工場に飛ばされ,デザイナさんの環境整備とか.でも残ってた人々はみんな優秀で,麻雀をしながら半導体に関するいろんなことを教えてもらった.青春だ.


思うところがあり,インターネットポータルに転職.
面接で「FreeBSDカーネルコードくらいは読んだことあるんだろうな?」とか脅された.出社初日からサービス担当者は机の上で死んでるし,トラブル処理で毎日データセンタに3〜4往復とかなんだか無茶苦茶だった.ただただ伸びるPVをさばくのに必死な日々だったけれど,2000年問題も乗りきり1日1億PVに達したとき,社長以下偉い人をスポンサーに呼んでみんなで食べた焼き肉はうまかった.青春だ.


このころからサイト全ページの表示に関わる広告と画像の配信に関わる一切を引き受けるようになった.
USから持ってきた広告システムはブラックボックスで,トラブル時のメンテナンスがしにくく,営業からも怒られまくった.そんな中,上司から「ブラックボックス部分は全て解明せよ」と厳命され,USのソースコードをひたすら読み,担当者に質問しまくった.USのソースコードはまさに生きたコードで,「こんなことでこんなに速くなるんだ」とか「このアーキテクチャ考えたやつ天才」と驚くことばかりで,その全てが参考になった.青春だ.


当時広告の画像配信に使っていた外部のCDNシステムはごくたまに落ち,そのたびに営業的な問題になった.
社長からの「画像の配信は第3者に任せず,おまえらだけで責任とれるようにしろ」との言葉に,画像配信システムの開発をはじめた.仕組み自体は簡単だけど規模が大きすぎるので,できるだけ人の手を使わずにすむ方法をみんなでいろいろ考えた.よい後輩たちにも恵まれ,結果60〜70億HTTP/dayなアクセスに対して,1人の人間が片手間でメンテできるような仕組みができあがり,夜トラブル電話におびえることなく眠れるようになった.青春だ.


知り合いからの紹介で妻になる女性と出会う.
「へぇインターネットね.今はやってるよね.それっておいしいの?」的な女性だったけれど,どういうわけだかこんな私を気に入ってくれ,即婚約.1年後に無事結婚することができた.青春だ.


入社して7年.気づけばPVは1000万PV/day→14億PV/day,社員は90人→3000人とずいぶんでかい会社になっていた.
急にでかくなったこともあって,裏表含めほんとにいろんなものを見せてもらえた.そんな中,でかくなった会社からの要求と自分の実力とのギャップに悩み,辞めることを考え始めた.辞めるにあたり会社からいろんな提案を受けたけれど,最終的には迷惑をかけることになると思い,なんとか説得して辞めさせていただいた.根本原因は自分の至らなさだけに,かなり悔しい思いをした.青春だ.


会社を辞めた後は少しプラプラするつもりだったけれど,友人にそそのかされて超本気印のデータ配信システムを作ることに.
会社の立ち上げ,営業,企画,開発とほとんど一人で泣きそうだったけれど,どうにか完成までこぎつけて超有名サイトさんに採用して頂いた.またこの活動を通じ,Rails勉強会の人々をはじめ,非常にたくさんの人々と出会い,会社の外にはこんな世界もあったんだとひたすら感動した.青春だ.


そして今,私は無事に誕生した2人の息子を前にし(そう.なんと双子なのだ!!),言葉にならない感動に震える.


振り返るに今までの人生いいことも悪いこともごちゃまぜで,これらすべてが青春だ.
いままさにこの瞬間も青春で,今後も謳歌していきたい.


最後になるが妻,両親をはじめ,私に関わってくれた全ての人たちに感謝したい(こんな場末のBlogを読んでくれているあなたにも感謝の気持ちでいっぱいです).
今現在私が成り立っているのは偶然必然問わずまさに皆さんのおかげで,でてくるのはただただ感謝の気持ちだけだ.


みなさんいままでほんとうにありがとう.今後ともよろしく.


(おしまい)